30日の朝も雨模様となりました。今年の報恩講は3日とも雨天となり、参詣いただいた皆様には足元の悪い中、お越しいただき本当にありがたいことです。6時の集会鐘の時には総代さんや婦人会の方々もすでにおいでになられ、7時からのお朝事の準備や朝のお斎の準備をしていただいていました。
外陣の太鼓が10分前になり響く時には、すでに50名ほどの方がご本堂においでいただきました。ありがたいことです。晨朝勤行は正信偈草譜で、調声を光明寺御住職にお願いし、引き続いての「御俗鈔」は住職が拝読させていただきました。そして天野先生のご法話と続きました。終わる頃には70名を超える参詣をいただきました。
朝のお斎はバイキングです。一生懸命精進料理のアイデアを出していただき、たくさん並んだおかずを目の前にしますと、ついついあれもこれもと、気がつくと朝からおおご馳走。新米のご飯は江別市中島の田中浩一さんよりいただいたユメピリカは恒例の納豆汁ととても相性もよく、おいしくいただきました。
一息ついていよいよ10時より満日中法要です。各御寺院も各々お着きになり、門信徒の皆さんも、たくさんのご参詣です。10分前には外陣の太鼓が鳴り、本堂横の控室ではご挨拶と差上説明がありました。
10時より行事鐘が打たれて、ご法要が始まりました。導師は当寺住職が勤め、奉讃大師作法にて皆さんとご一緒に正信偈をお勤めしました。
法要後、左余間にて御講師と御出勤いただいた御寺院への御礼言上が行われ、寺内代表し住職より御礼申し上げさせていただきました。戦後70年という節目にあたって寺報響38号にも掲載しましたが、昭和18年、広島県妙専寺で17歳の少年であった父が出陣前に坊守である母が自分の膝元にに泣きくずれる姿を唯々唖然とする他はなかった思い、眞願寺では「金属回収令」によって大切なお寺の仏具や日の丸に包まれた鐘を見送られた廓然住職の姿など、戦中当時に思いをよせれば、こうして報恩講をむかえさせていただくことができる幸せを深く感じつつ、二度とこのような時代が来ないよう、そしてすべての人々が心豊かに生きることのできる社会を目指し、寺内門信徒の皆さんとご一緒に、来年の報恩講に向かって、歩んでいきますと、言上させていただきました。
そして髙間責任役員より門信徒皆様に報恩講満座にあたってご挨拶をいただきました。最後に一席のご法話をいただき、領解文を唱和し、親鸞聖人のご恩に報じつつ感謝のなかでお念仏聴聞させていただいた三日間も閉ざさせていただきました。
終了後、皆さん一斉に後片付けをご奉仕いただき、1時間半ほどで綺麗にかたずけていただきました。最後に笠羽総代より三日間のご奉仕に感謝しつつ乾杯し、皆さんご一緒に精進落としで昼食をいただき、解散となりました。お陰様で尊い三日間でした。称名