対雁の碑より受け伝えよう。この歴史を!そして真の平和へと

投稿日:2018年6月24日

「6月の第三土曜日は毎年対雁の碑であいましょう」

6月16日土曜日、江別市対雁にある江別市やすらぎ苑墓地の小高い丘にある「対雁の碑」の前には今年も多くの方々が集った。本願寺明如上人の御染筆による『乗佛本願生彼國』と彫られた「対雁の碑」の墓前には沢山の供物が供えられ、蝋燭に灯火が点ぜられた。樺太アイヌ強制移住殉難者墓前法要がはじまる。

その横にある樺太アイヌの祈りの場にも今年も新たな木幣が立てられ、カムイへの祈りである火が焚かれ、先祖へ酒を捧げる椀とへら、供物も準備されていた。

そして木綿衣などを着られたご遺族や関係者はじめ、アイヌ協会・江別市・本願寺札幌別院・札幌組・眞願寺門信徒など、そして想いをともにされる多くの方々が、私達僧侶とともに心静かに手をあわせ焼香した。そして樺太アイヌの祈りへと。

国策によって、土地・家屋・生活・そして自由を奪われ強制的にこの地に移住された841名の方々。ほぼ原生林のような慣れないこの地に来られた方々は、船から降り立った時、どんな思いをされただろう。

狭い土地と居住の中で、遠く石狩の漁場に通いつつ、生活を強いられ、やがては疫病(コレラ・天然痘)の大流行、そして一日に何人もの人が倒れ、約半数の方々が亡くなっていかれた。

残された遺族はやがてばらばらになってこの地から移住されていった。しかし土葬~埋葬されていたこの小高い丘「対雁」には、いつも追悼にこられていたことだろう。

しかし、この小高いカムイの丘は北海道電力の土地となり、丘がけずられ、土地としての利用が始まった。その時たくさんのお骨が、出土され、市の教育委員会なども立ち会った中で、北大などの研究グループが、研究目的に持ち去ってしまい、いまだに返還されていない。

そんな中で、今年で39回目を迎えたこの法要。北海道150年の歴史をふり返る中で、この法要の重さを感じながら、民族・宗教・国を超え、ここに集った皆さんと「真の平和」そして共に「尊いいのちの私」をおもいつつ、手を合わせた。

この6月遺族会が設立された。遺骨の返還に向かい、第一歩が踏み出された。犯人捜しではなく、真の平和への第一歩でありたい。

そして、このような事が二度と繰り返されないよう、この「対雁の碑」から世界へ呼びかけていきたい。

6月23日は沖縄の日、相良倫子さんの平和の詩「生きる」の朗読に感動した。

「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」と考えた。生まれ育ったこの美しい島から伝えたい。「鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく」

 

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