御修復が終わった美しい御影堂を背に
御門主様のお言葉をいただき
6月7日、ご本山ご本堂にて眞願寺門信徒総追悼法要を、御門主様御焼香をいただく中、修行していただきました。御門主様のお言葉では『先人の方々も親鸞聖人のみあとを慕ってお念佛申して人生を生きぬかれました。私たちもそのみあとを慕って歩まさせていただき、又次の世代へと末永く歩んで行かれるよう、そこにご法要の心が表れています。』とご法要の意義を述べられました。また『阿彌陀如来から智慧と慈悲のはたらきを受け、この世にいのちをめぐまれた大切さを味あわさせていただくことができれば、本当にすばらしいご縁だと思うことでございます。』とわかりやすくご教え下さり、最後に『皆様おそろいでようこそご参拝になりました。』とお言葉をいただき、感無量の中で、御礼言上申し上げさせていただきました。
開教125周年のご法要スローガンである、「未來へ受け継ごう このお寺を お念佛のともしびを」の意義を再確認し、ますます眞願寺よりお念佛のお心が、響き続けるよう、参加いただいた皆様とともに心新たにさせていただきました。
御面接 御門主様のお言葉 第二十四代浄土真宗本願寺派御門主 大谷光真様
御門主様御面接の間
眞願寺の皆様には、ご住職をはじめ門信徒の方々おそろいで遠方の地よりようこそ本願寺にご参拝になりました。
ただ今の阿弥陀堂でのおつとめにご参拝になり、阿彌陀如来のひかりといのち、「南無阿弥陀佛」の心を深くあじわっていただけたことと思います。
又、おとなりの御影堂(ごえいどう)ご参拝になりましたでしょうか。10年の修復を終えまして、4月からお参りできる様になりました。創建当時に近い修復がなされたと思います。かがやく金箔の中、お内陣を仰ぎます時に、ほとけ様の世界が、光の世界であるということ、智慧(ちえ)の世界であることも、あわせてあじわっていただけたことと思います。
永代経(眞願寺門信徒総追悼)のご法要ということでご参拝でございますが、伝統的には宗祖親鸞聖人がお念佛を申し、阿彌陀如来にすくわれて往生浄土の道を歩まれました。私たち先輩の方々、先人の方々もお聖人の御後を慕って同じくお念佛申して人生を生きぬかれました。私たちもその歩みを慕って歩まさせていただきたい、出来ることなら次の世代へと、末永くこういう人生を歩んでいただきたい。そこに永代経という心が表れているということと、あじあわせていただくことであります。
今日、時代の激しい移り変わりの中で、なかなか伝統的な考え方が受け取りにくくなっております。『何のためにお念佛申すのか。往生(おうじよう)成佛(じようぶつ)しなければならないのか。』という時代になっています。
御門主様御焼香
私は、色々なあじわい方が出来ると思いますけれど、例えば『人生なんの為に生きているのか、何のためにこの世に生まれてきたのか。』を考えますときに、ただ経済活動の中に働き、あわただしく人生を終わってしまうだけであっては誠に残念なことであります。
『この世に生まれたのは、阿彌陀如来様にあわせていただく為であった。親鸞聖人の教えを聞くためであった。』と、あじわえればすばらしいことでありますが、そこまで至るには時間もかかると思います。
しかし単純に、面白い、楽しい、辛い、悲しいということを越えて、もうひとつ深いいのちの大切さ、迷いの世界をこえた阿彌陀如来からの智慧とお慈悲のはたらきを受け、この世にいのちをめぐまれた大切さをあじあわせていただくことが出来れば、本当にすばらしいご縁だと思うことでございます。
いよいよ世の中はむずかしい課題が目につくようになりましたけれど、そうした中『どこにあっても、阿弥陀様とご一緒である、お慈悲の中に精一杯、身を過ごさせていただきたい。』そういう思いで過ごしたいと思うことでございます。皆様おそろいでようこそご参拝になりました。
住職御礼言上
御門主様のお言葉を頂き、参拝者を代表して特別のご配慮を賜る中、住職より直接御礼申し上げさせていただきました。
御門主様におかれましては、日曜日という何かとお忙しい中、ご法要に御焼香いただきましたこと、本当に感謝にたえないことでございます。
私も御門主様から住職として御門徒をおあずかりしまして、早15年がたちました。その中で昨年は七百五十回忌の大遠忌法要、そして当寺の開教百二十五周年慶讃法要を機縁として、100名以上の帰敬式を頂戴いたしました。これに勝る幸せはございません。
又その折りに御導師で御代行いただきました近松照俊様に、『是非上山し、御真影様にご挨拶を』というお話しを頂き、この度多くのご先祖の方々を縁としてお参りさせていただくことが出来ました。これもひとえに御門主様の御教化の賜と心より感謝を申し上げる次第でございます。
これからの時代は、何かと難しいことと思います。御門主が仰られましたようにお念佛の教えのすばらしさを、子や孫に伝えていかなければならない、そんな思いを皆様とともに新たにさせていただきました。
御門主様におかれましては、これからも御教化、御指導頂けますようお願い申し上げます。ここに一同を代表いたしまして、一言御礼申し上げさせていただきました。ありがとうございました。
眞願寺 住職 石 堂 了 正
本山本願寺阿弥陀堂における
「眞願寺門信徒総追悼法要(永代経)」に参拝
文:釋証教(髙間 和儀)
金沢兼六園にて
私ども眞願寺、開教125周年奉賛会各事業は、平成18年来準備が進められ、昨年は大法要が執り行われましたが、本年度はこの関連事業の一環として、本山本願寺阿弥陀堂における「眞願寺門信徒総追悼法要(永代経)」に参拝させていただくこととなり、参加者40名のひとりとして6月7日、本堂で出発式を行い、髙間責任役員を団長として全行程貸し切りバスの人となりました。11時出発、千歳から小松空港に15時30分降り立ち、金沢兼六園を見学本州の風土にふれ、片山津温泉で体調を整え翌5日からの寺院見学と法要の旅に備えました。
浄土真宗加越布教の歴史を尋ねて
上:吉崎別院山門前
下:吉崎別院御坊跡地蓮如上人銅像前にて
今回旅程の本願寺参拝に先立って、蓮如聖人による加越布教の地をたどる日程でした。今から約530年前上人が本願寺派の永承者として、最初に親鸞聖人の教義布教を目指した越前加賀の地で、当時“応仁の動乱”と大飢饉のさなかで、荒廃した民衆社会の安穏を願った “本願念佛”布教は、民衆動向とともに巻き込まれ、その後百年に及ぶ有為変転一揆の中にあった地帯でした。
片山津から北陸バイパスで、親鸞聖人が800年前越後への配流の路を逆に南下、加越国堺の本願寺吉﨑別院を参拝しました。同御坊は親鸞聖人没後約150年後、蓮如上人が本願寺派再興の偉業発足の地とされる加越布教開創の地です。つづいてコシヒカリの発祥の地福井平野の水田地帯を南下、同地には古くから開教した越前四派本山などがあるなか、福井市郊外藤島町で約700年前から同地方で、本願寺派布教を積極的にすすめ、北陸中核坊として多くの門信徒とともに、宗門護持に尽くした超勝寺を参拝させて頂きました。同寺はこの地方にも希な大伽藍があり福井大地震にも耐えたという組天井は見事と言うほかありません。内部には寺宝の蓮如上人幼少の面影「鹿の子の御影」が保存され参拝させて頂きました。同寺では大勢の門徒の皆様のほか、当時了正住職と交流のある勝山市の「河久保道場」からも出迎えを頂きました。また参拝した福井県の両寺は、ともに同一地点に西・東両寺分離開教の実態を目の当たりにすることも出来ました。
左:福井市超勝寺様で 右:日野誕生院
さらにバスは南下滋賀県に入り、瀬田の唐橋を渡り石山寺本堂脇にある蓮如上人鹿の子を伝える蓮如堂を訪れた後、2日目の強行日程を終え琵琶湖畔大津市のホテルに投宿しました。
少しばかり、京都とその周辺の雰囲気を〈6日〉
3日目は、京都周辺部の見学の日程とされ、老化した足の訓練にと坂の三室戸寺をはじめ、毎日お世話になっている10円玉に刻まれた平等院の鳳凰堂の正面内部を見学、午後は「明日ありと思う心の...は」の親鸞聖人9歳得度時像=日野誕生院を参拝、いま、道新連載の『親鸞』の忠範時代に思いをいたし、夕食は堀川5条下ルの京料理きた山で懐石料理と舞妓さんで京都を堪能しました。
京都きた山で京都の夜を堪能
門信徒の心のふるさと本願寺で...〈7日〉
本山御礼参拝と眞願寺門信徒総追悼法要
御修復された本願寺御影堂外観
前夜の宿泊は、本願寺のお隣のような東急ホテルでした。早朝5時30分それぞれ歩いて、本山参拝会館に集合。工事完了したばかりの『御影堂』と『阿弥陀堂』で晨朝のおつとめに参拝。『御影堂』は10年にわたる“平成の半解体修復”が完了、4月1日「御真影御動座法要」翌2日には「修復完成報告法要」、5月22~26日に「完成慶讃法要」されたばかりの御影堂内陣の修復で輝きがよみがえった厨子に安置された『御真影様』を拝しました。また外陣には阿弥陀堂「御興」が展示されていました。
今回の眞願寺門徒の本堂御参拝は、昨年9月眞願寺が3日間にわたってとり行われました親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要・帰敬式と開教125年・寺号公称120年慶讃法要・門信徒追悼法要に御門主代行として近松照俊様のお越しを頂き、大遠忌・帰敬式を御導師いただきましたが、その折「ぜひご本山へ御礼参拝を...」とのお言葉を頂き、このたびの団体参拝となりました。総勢40名参加のうち当日本山参加は10名でした。
この参拝にあたっては、特にご本山のお計らいを頂き、眞願寺門信徒総追悼法要を午前10時から『阿弥陀堂』外陣正面に眞願寺門徒席が設けられ、楽人6名の方々による雅楽演奏の中、奏楽に始まり本願寺会行事の今小路様の導師をいただき、厳粛ななかに法要が勤修され法要最後に御門主様に御出座御焼香をいただきました。
ご門主様ご面接・お言葉を頂く
上:阿弥陀堂で眞願寺追悼法要を前に
下:ご法要~御尊前にお供えしてあったお供物を頂く
このたびの法要修業・参拝に特記しなければならないことは、御門主様ご面会でありました。私たち門徒にとっては、通常考えも及ばない、尊い御勝縁をいただきました。このことはご先祖に伝え感謝申し上げるばかりであります。
眞願寺門信徒追悼法要後、阿弥陀堂西背面の内事部分室2階の対面所で合掌礼拝後、御門主大谷光真様から直接お言葉を頂きましたことは、感激憶あたわざるものがあります。北海道から参拝に労りのお言葉とその御佛縁の尊さを伝えられ、その要旨は『親鸞聖人750回大恩忌についてのご消息』や、さきに発刊された御門主著「現代社会と佛教」に記述、親鸞聖人が門弟に宛てた御文章にあった『世の中安穏なれ』のおことばを、御門主から諄々と語りかけられた喜びは大いなるものがありました。
ご法要~ご門主様御入堂
また、これに対する了正住職からのお言葉は、感激のためか胸詰まるものがありました。
引き続いて本願寺総務那須野浄英師から挨拶を頂き、緊張・厳粛のなかに今回参拝の主目的を達することが出来ましたことを喜ぶばかりです。
西本願寺そのものが国の重要文化財であり「古都京都の文化財」としても世界遺産に登録されておりますが、私ども一行は、さらに一般開放されていない伏見城から移築の国宝書院の見学案内を受け、聚楽第から移築の日本書院のひとつとされる国宝飛雲閣でお斎を頂くなど特別のご高配のなか、この様に早朝から正午過ぎまで、内容の充実した時を得させて頂きました。
ご法要~御導師今小路会行事様の登禮盤
左:ご法要・ご面接終わり国宝飛雲閣へ
右:飛雲閣にてお斎のご接待
本願寺本山参拝を終え、ホテルから再びバスで大谷本廟に参拝、第一無量寿堂と第二無量寿堂の眞願寺納骨所で新規納骨、墓参読教法要させて頂き、全旅程を神戸空港から18時50分発で千歳から眞願寺には22時過ぎ全員無事帰着しましたことを心より感謝申し上げる次第です。
釋証教(髙間和儀)
左:京都東急ホテルよりご本山へ出発
右:旅行記筆者 兼六園にて
御修復された御影堂の内陣 中央には親鸞聖人御真影様
参拝旅行に参加して
文:釋賢徳(仏教壮年会会長 萩原建興)
「眞願寺開教125周年・寺号公称120周年」では、本山から御門主様代行の近松様はじめ全国からの御法中の方々ご出勤をいただきました。私は、今回そのお礼として企画された6月4日~7日40名の団体参拝旅行の後半6月6日~7日1泊2日に参加させていただきました。
4月下旬メキシコが発症源となり世界中に猛威を奮い、日本には5月上旬関西地方に飛び火した新型インフルエンザである。当時この影響で団体参拝の企画実行が危ぶまれましたが、その勢いも下火となったことと、参加者の強靭な体力者の方々ばかりでしたのでマスク集団での参拝旅行とならずに無事行うことができました。
私は、千歳空港から神戸空港に入り、ポートライナー・JR東海道線を乗り継いで京都に入り、先陣一行と京都東急ホテルにて合流しました。北陸・京都地方は、数日前までの低気圧が北上した影響から天気も回復、多少蒸し暑くビールが美味しい気候でした。
6日午後からは自由行動で、御影堂門東側の佛壇佛具の店舗が軒を連ねる中、昨年稚児行列などでお世話になった川勝法衣店での買い物の後、皆さんはお土産・お買い物等で方々に向かわれました。
夕食は先斗町に移動して、縁台での鴨川納涼床処の風景を眺めながら、老舗の「きた山本店」2階で芸子・舞妓さんの踊りを鑑賞し、鱧すき・ウドンをご賞味することとなりました。
いよいよ本来の目的の7日、吉崎御坊、超勝寺、日野誕生院を参拝された先陣一行および、前日夜遅く京都に到着した方々は旅の疲れも見せず、ホテルロビーに本願寺開門となる5時半、皆さんが遅れることもなく全員集合しました。
鈴木法務員が掲げる眞願寺旗を先頭に徒歩約10分、金ピカ豪華な阿弥陀堂門に到着一礼し入門。高さ30m級の大きな阿弥陀堂・御影堂を眺めながら各自下足ビニール袋を持ち、階段を上り本堂(阿弥陀堂:1984年昭和の大修復=親鸞聖人500回大遠忌法要)の正面左最前列に陣取り、阿弥陀如来立像、一度に800人収容と言うその広さを眺め開始を待つと、各地からの門信徒らが続々と参詣、僧侶一同は正面に正座し定刻6時に一同で讃佛偈を読経しました。続いて正面左側の法然上人(源空)に移動して住職から戴いたプリント経本を読経した後、一同が渡り廊下を移動し、本堂(阿弥陀堂)よりも1200人収容とさらに大きく、寛政12年(1800年)「寛政の大修復」以来2回目の「平成大修復」を終えた本堂(御影堂:親鸞聖人像)で、正信偶を読経しました。帰郷式を受けるお2人を残しホテルに戻り朝食となった。
10時からは本堂(阿弥陀堂)にて、特別永代経の「眞願寺門信徒総追悼法要」が雅楽演奏も加わり御門主様の御焼香をいただく中、佛説阿弥陀経が読経され、参加者全員が先人のご苦労に感謝しお焼香をいたしました。最後に、内陣からのお供物(下り藤文様のお菓子)を髙間責任役員が丁重に頂戴いたしました。
ホテルチェックアウト後、再び本堂(阿弥陀堂)に詣で阿弥陀堂・御影堂をバックに一同で記念撮影。
10時50分、参拝記念会館に移動して御門主様との面接作法の説明があり、本堂(阿弥陀堂)内陣裏を通り待合室に入る。緊張のなかで待つこと数分、御門主様から丁重なお言葉を受け、これに眞願寺了正住職様が昨年および先程の法要のお礼を述べられました。
続いて11時30分、西側に配置されている17世紀建築の国宝飛雲閣に移動しお斎を頂く。なお、お斎後お抹茶(下り藤文様の餡入りお菓子)を頂きました。
中層は三十六歌仙の絵が描かれた「歌仙の間」となっており、大修理に併せて修復されたとのことでした。お斎を頂いている最中、中庭で僧侶の結婚記念撮影に出会う。
その後、国宝書院(鴻の間・雁の間、南・北能舞台等貴重な内部)のご案内を頂きました。この書院・虎渓の庭からは御影堂の背面が眺められ、今回の修復で1800年当時の使用可能な瓦も使っており、その新旧の貴重な変化を見ることができました。ちなみに、正面は真新しい瓦のみでの葺き変えられたとの説明でありました。
13時30分、親鸞聖人のご廟所(墓所)である大谷本廟に移動。一同は、眞願寺の第一、第二納骨堂を参詣した後、親鸞聖人のご廟所(墓所)を合掌して京都を後に一路神戸空港に移動しました。
途中、少し早い夕食を港のレストラン たこ壷亭で頂き、空港に到着しました。
空港内で沢山のお土産を手にした一行が飛行機に乗り込み、定刻18時50分に出発しました。皆様疲れて機内サービスも受けずにグッタリと熟睡の中、千歳空港に20時30分到着しました。
空港の外に出ると、京都と千歳との気温差10℃を実感、身が引き締まる思いでした。バスで移動して21時40分眞願寺に到着。留守を預かっていました法務員の方々の出迎えを受け、本堂で到着式・合掌後解散となり、今回の旅行日程全てを終了しました。
西本願寺には多くの国宝重要建築物が存在し、短時間の間に御門主様との面接、国宝飛雲閣でのお斎、国宝書院と盛り沢山の貴重な体験や説明を受けました。しかしながら、今回見学することができなかった伏見城から移築された派手な装飾を施した国宝唐門(日ぐらしの門)・百華園等について、「親鸞聖人750回大遠忌法要」団体参拝が2012年6月企画とのことで、是非拝観したいと思います。
大勢の門信徒のご参加を期待しております。
(合掌)
意義のある団体参拝旅行
文:釋恩厚(佛教婦人会副会長 木村慶子)
阿弥陀堂にて眞願寺特別法要が厳かに勤修され、ご門主様のご焼香頂戴いたし、かぐわしいお香のかおりをありがたくいただきました。引き続き対面所に案内されご門主様のお言葉をおそば近くで頂戴することとなり、遠くからの参拝ようこそと申され、了正ご住職様には日々の職務の労をねぎらわれ、如来様に合わせていただくために生まれさせていただいたこと、今の世情を話され世の中安穏なれとお念佛相続されるようにとのお言葉、了正ご住職様の御礼の言葉は胸つまるご挨拶となりました。
私共一同も緊張の中拝聴させていただきました。国宝である飛雲閣でのお昼のお斎は外から拝観するだけでも感動するところですのに歴史の重さの中での食事となり又とない思い出となりました。御影堂の見事に修復された様子を見、門徒の皆様にも是非一度ご参拝お誘い致したく思います。
大谷本廟にて納骨(分骨)の様子
この度の団参は息子の分骨もあり、主人と共に遺骨を抱いて一周忌の法要を終え5日目の出発となりました。急性骨髄性白血病発症し2年半45才での往生でありました。骨髄移植を受け一度は退院しましたが再発してしまいました。病気になり普通のことが普通にできることの本当の有難さ物事に素直に感謝することができるようになったと話しておりました。
私にはいつも辛い時に側にいてくれてありがとう子供の頃にもどったみたいだった、何も親孝行らしいこともできずに先に往ってしまうことごめんねとメッセージを残していきました。
息子には三つの顔があったように思います、元気でいた時の顔、闘病中の顔、往生させていただいた時の菩薩様のような穏やかな顔、少しではありますが生前真宗の教義をいただいたお蔭の顔とありがたく思いました。棺にはご苦労さんでした又お浄土で会おうねとしたため最後の別れとなりました。残念なことではありますが母として心ゆくまで側で見送ることができたことに感謝し、私が往生させていただく時には、阿弥陀様と共に前になり後になり迎えてくれることと又会えることを待ちつつ、安心のなか日々を過ごしたく思います。
大谷本廟では、皆様に支えられながら無事納骨することができホッとすると共に、置いていく淋しさもありましたが、又京都へ参拝する目的をいただき、次の団参には必ずくるよと帰途につきました。
先の記念事業の中で、境内には沢山の木が移植されましたが、移植がうまくゆき大地に根づき、枝葉にいのちがかよく成長し境内のご荘厳がなされますようにと願います。人のいのちも木のいのちも、同じいのちいただくものと息子の移植と重なる思いで、眞願寺この佛地にたち見つめて行きたいと思います。楽しく笑いあり涙ありの団参であり皆様には大変お世話になりありがとうございました。
合掌