御霊前?祭壇・告別式?ご冥福?・・・7月16日、この日の御命日法座は先月と同様、住職講座として行われました。午後1時には、60名以上の方々がご本堂に集われました。私も御堂に行き参拝者の方がいつもの16日より多いのにびっくりしながら、又責任を感じつつ、講座に入らさせて頂きました。
毎月の16日であれば、先ずはお勤めなのですが、この日は住職講座ということでお勤めの練習もするので、最後にして先ずは講座よりはじめました。お配りした資料は通夜や葬儀の時に、司会者に読んでいただく文章を独自で作っていますが、その裏紙に「司会者の注意点」として司会進行される方に注意いただきたいことを表にして掲載してありますが、それを配りました。
そこには「不適切な語句」と「適切な語句」が比べられるようにしてあり、例えば
不適切「御霊前」 適切「御仏前」「御尊前」「御忌前」
不適切「祭壇」 適切 「荘厳壇」「式壇」
不適切「告別式」 適切「葬儀」
不適切「冥福を祈る」 適切「追悼の意を表す」 などなど他多数
これらが何故不適切であるのか。そして何故そのような表現をするのかなど、一通りの説明をさせていただきました。
葬儀・法事などに行く場合の心づもりとしてのマナーや御仏前・供物・供花の供え方(仏壇前の置き方・お飾りの仕方)、そしてお焼香の作法とその意味など、皆さんと一緒に勉強させていただきました。また、弔辞を読んだら御尊前にどちらに向けて置くのか?弔電を披露した後、御霊前にご奉奠するというが、その必要があるのか?など一緒に考えさせていただきました。一般仏教で正しいとされる作法(HPなどで示されている)は、浄土真宗では間違っていることが多いようです。
こうして学んでみると皆さん、けっこう気づかずにしていたことや使っていた言葉もあったようです。そして、僧侶の側からはとても申し上げにくい事ではありましたが、けっこうあることなので、葬儀・法事・月忌などでの「お布施の渡し方」についてもお話させていただきました。
一通りのお話をして質問をうけ、実際にお焼香の実演とその意味を話し終えると、けっこういい時間になりました。その後少ない時間でしたが「正信偈草譜」を皆さんご一緒に大きな声を出していただき、おつとめの練習をさせていただきました。ひと休みして親鸞聖人御命日のお勤めをご一緒にさせていただきました。素晴らしいお勤めの声が御堂に響きわたっていました。
近年、葬儀はもとより法事でも、業者さんがすべてを取り仕切られ、会場も斎場や会館・ホテル・お店などの場合が多くなってきました。そして個人的な葬儀(家族葬・直葬)や法事(家族だけで)も年々多くなってきています。昔は隣近所の方々や関係者が集い、葬儀委員会を形成し委員長が遺族の思いや寺院の指導のもと、受付会計業務から司会・総務・接待・厨房までその式を取り仕切ったものです。そして会場はほとんどがお寺か地域の自治会館などでした。そのご苦労が街の活性化と親睦にも繋がり、ご近所のお付き合いを大事にしてきたものです。そういった文化もここ10年、15年で急速になくなりました。(左の写真は眞願寺本堂での葬儀荘厳)
業者さんに任せることは悪いことではないのでしょうけれど、あまりにも大切な事がうすれてしまい、何の為の儀式なのか、そして各宗派の特色もほとんど無いお飾りが多くなり、それぞれの教えを基本とした儀式がなされなくなっているのが現状だと思います。
そこにはきちんと儀式儀礼の作法と意味を伝えてこなかった、我々僧侶に大きな責任があると思います。そこさえ先ずは私が学びを深め、門信徒の皆様とご一緒に、大切な事を後世に伝えていく責務を痛感しつつ、是非またこのような機会を企画したいと思いました。 今年の6月に行われた眞願寺本堂での葬儀