法事といえば一周忌、三回忌とかの年忌法要(年回法要)を思い浮かべる方が多いことでしょう。年忌法要は、亡くなって一年後に勤めるのが一周忌、二年後が三回忌、六年後が七回忌で、以後十三回忌、十七回忌……と別表の通り勤められるのが一般的です。(二十五回忌は二十三回忌と二十七回忌にわけて勤める方もいます。)法要を勤める年のかぞえ方は、三回忌以降「A回忌は亡くなって(A-1)年後」と覚えておけばよいでしょう。
ところで、この法事、亡き人を縁に勤められることから、「亡き人のため」に勤めるものと思っている人がいます。「故人の霊魂を慰めるためにお経をあげる」とか「法事を勤めることによって先祖を安心させてあげる」といった認識の、いわゆる追善供養の意味合いです。
しかし、亡き人は如来様のお救いによってすでに浄土に参られているのです。したがって、亡き人のために善をふり向ける(追善)必要もなければ、またそんなことが出来る立派な私でもないでしょう。
法事というのは「仏法の行事」ということで、この仏法は、他でもない私自身のためのものです。すなわち、法事の場合に参集した家族、縁者の一人ひとりが仏法を自分のこととして聞き味わってこそ、意義あるものとなるのです。亡き人を偲びつつ、この私が仏法を聞く行事…これが法事です。
お浄土に生まれ仏となられた故人を偲ぶとき、故人は「いつでもどこでも、どんなことがあっても、けっして裏切られることのない如来様をしんじて、手を合わす人生を送ってくれ。そして私のいるお浄土に生まれてきてくれ」と、そう願われていることでしょう。
その願を聞けば、亡き人が私のために仏縁を下さり、深めさせてくださるのが法事であったと気づかされます。