いのちを受けとめる

投稿日:2011年9月1日

先日、ご本人のご希望で献体された方のご遺骨が、1年10ヶ月ぶりにご自宅にお帰りになられ還骨法要(お骨上法要)を営まれました。ご本人の献身的な思いから、献体されることはとてもすばらしいことであり、医療の研究には欠かすことの出来ない事と思います。しかし、お帰りを待たれている御家族にとって見れば、やはりさびしいものがあるようです。「やっと帰ってきました。これで心の整理がつきます」と。
大切な方の「死」は、その姿をしっかりと五感で感じ、理解して、儀式を通してはじめて受けとめていけるのでしょう。

政府のまとめた報道によると、8月24日現在、大震災による死者は15,729名になるが、行方不明の方は4,539名となっています。震災から5ヶ月半たった今日も大切な方の帰りを待つ方が、たくさんおいでになる事でしょう。理解は出来ても、受けとめることはなかなか困難なことでしょう。「変わり果てた姿でもいいから、見つかって早く帰って来てほしい・・」と。
如来様のお心をいただくとき、「いつでも・どこでも・どんな時にでも、あなたと共にいますよ。どこでどのような死をむかえようとも、必ずすくうぞ。その場でその時に、そのままで佛にし浄土に往生させるぞ。」とお約束をいただき、「われにまかせよ」と私を呼び続けて下さっています。

不明の事が明確になるのはかなわないことも多い世の中です。それをどう理解し、受けとめていくかは、私自身の問題でした。大切な方の「死」をご縁として、私の「いのち」をどう理解し受けとめ、生きていくかが大切なことではないかと思います。