「6月の第三土曜日は毎年対雁の碑であいましょう」6月15日午後2時江別やすらぎ苑

投稿日:2019年6月10日

6月15日(土)午後2時より、江別市営墓地やすらぎ苑(対雁墓地)において、樺太殉難者墓前法要が法要実行委員会の主催により行われます。

このご法要は、明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で1886年より1887年(明治19年より20年)にかけて、天然痘やコレラなどが大流行しました。そして集団生活を強いられてきた方々は、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなりました。

国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられていったのです。きっと、悲しく、つらく、我が身にもいつ伝染するかわからない恐ろしさの中で、日々過ごされたことでしょう。

当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)においでになり、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されていることです。

前住職の時代に、その過去帳があることを、御遺族に申し上げ、墓前法要が毎年勤まるようになったのです。その「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆と刻まれています。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。その碑を前に、御遺族の皆様や関係諸氏、市民が集い、その多くの犠牲になられた皆様に哀悼の意を表し、真の平和と平等を考えつつ、ご法要が行われます。

アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記した新法が成立した今年、40回目を迎える墓前法要となりますが、多くの課題が山積し取り組んでいかなければなりません。江別市民をはじめ多くの方が参詣され、心を寄せていただければと願うばかりです。

いまなお続く多くの領土問題などを、問うていく日となるでしょう。

 

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