喚鐘
本堂での法要儀式などは、すべて喚鐘(行事鐘)によって始まります。
その鐘は本堂回廊の奥の方に吊されておりますが、寄付者は「札幌区井須音吉」同じく「福井県大野町佐野新三郎」と刻銘され、日付は明治41年11月となっております。
戦時中、全国のすべての寺院から金属の佛具が強制的に供出させられました。当寺の梵鐘をはじめとして、多くの佛具も例外ではありませんでした。
戦争の激化による資源欠乏を解決すべく、昭和17年5月金属類回収に関する指令が出され、寺院等に対して、梵鐘、佛具等の供出が命じられました。
しかし、この喚鐘は供出の難を免れたのです。それは次の通達文の解釈によってではなかろうかと推察されます。(下線をほどこした部分)通達は次のように記されております。
- イ.梵鐘、簾、付属品は即時供出
- ロ.半鐘、灯明用具、輪灯は法要儀式の簡易化により供出(注)半鐘は喚鐘のこと
- ハ.五具足類は、全部回収せらるるも必要の最小限度に限り、代用品をもって供出のこと。献納目録は寺に保存し、できれば写真を撮影し置くこと
供出した梵鐘をリヤカーで運ぶ
なお、寄付者名にある井須音吉氏につきましては、市内の同姓の方などを尋ねたりもしましたが、関係のある方ではないことなども判明いたしました。
井須音吉氏は、大正6年に大太鼓も寄付されております。ここには「札幌北五条東二丁目」と記されており、さらに寄付者に高野源氏の名もあり、住所は「札幌○○九条西三丁目」となっており、物故者として高野姓3名、井須姓4名、阿部姓1名が法名と共に、太鼓の胴の部分に墨書されております。
これら篤信の方々の名と共に、いつの世までも喚鐘の音色が本堂に絶ゆることなく響きつづけることを願ってやみません。