明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々が江別市対雁の地に移住を強いられました。その後明治19年より20年にかけて、天然痘やコレラなどが大流行し、集団生活を強いられてきた方々は、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなりました。国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられました。当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)で、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されています。前住職の時代に、その過去帳があることを、御遺族に申し上げ、墓前法要が毎年勤まるようになり毎年6月に行われています。その「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆が刻まれています。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。
今回、東京新聞より取材を受けて、眞願寺保管の写真も提供し掲載されました。悲しい歴史ではありますが、伝えていかなければならない大切なことと思っています。掲載文はとても、わかりやすく書かれていますので、ご紹介します。