雪の境内に篝(かがり)火(び)が焚かれ、沢山の人たちが見上げるなか、ひとりひとりが鐘楼堂に上がり、思いをこめて鐘を撞く。そして、除夜会の鐘が十方に響き渡ります。なんとも感動的な場面ではありませんか。
ところで、梵鐘は別名「集会鐘」とも言われ、法要や儀式を開始するに先立ってこれを撞き、参集の合図をします。撞き方には決まりがありまして、打数は10回、各間隔をゆっくり空けて、余音がかすかになってから次を撞き、最後の一打は間隔を少し早めに撞きます。また、出棺の折りにも撞かせていただいております。
お寺の鐘の音には、童謡などにも出てくるような、どこか牧歌的で、郷愁を誘う安らぎを覚える人もおるのではないかと思います。しかし、そんな梵鐘にも戦時中の哀しくも、いまわしい記憶が秘められているのです。
ときの政府は戦争の激化による資源欠乏を解決すべく、昭和17年5月に金属回収に関する指令を出し、寺院等に対しては、梵鐘・佛具等の供出を命じたのであります。そして、供出された金属類は兵器となり、多くの人を傷つけ、命まで奪う武器となったのです。これほど残酷で悲しいことがあるでしょうか。
かくして、梵鐘のない鐘楼堂が20年近くも続いたのでありますが、昭和36年からの伽藍修復や境内整備の一環として、梵鐘の復活が実現したのであります。その喜びはがいかばかりであったか、当寺の門信徒の方々の歓喜の声が、今でも耳に聞こえてくるようであります。
梵鐘には、次のような刻銘があります。
南 無 阿 彌 陀 佛
浄 土 真 宗 本 願 寺 派
廣 間 山 眞 願 寺
第 三 世
願主 石 堂 廓 悟
施主 門 信 徒 一 同
昭和三十六年八月
黄綬褒章拜受
高岡市鑄物師老子次右爲
正覺大音響流十方
なお、この年には本堂の改修がなされ、従来の畳敷きからコンクリート床、椅子席に改修され、本堂と庫裡との間に控室を設け、渡り廊下付属施設の階上に住居を新築しました。また、納骨堂の一期工事も完成、境内も門信徒多数の方々の献木等により、すべてが完成したのであります。