平成23年1月27日札幌別院で、北海道教区主催による『連研のための研究会』が開催され、道内より僧侶(各組担当代表)、門徒(門徒推進員)が約40名が集い、今後の連研のあり方を研究する会が行われました。
先ずは教区内各組の活動報告が行われ、現在札幌組で行われている「第15期組連研」の報告もありました。この連研には当寺からも11名参加され、毎月札幌別院と眞願寺を会場に行われています。その発表の後、当寺総代の木村弘氏が、門徒推進員としての体験発表・活動報告を門徒推進員を代表し行なわれ、参加された皆様の共感と拍手をいただかれました。ここにご本人より、発表された内容を要約し、まとめていただきましたので、掲載させていただきます。
共に歩む「同朋運動」門徒推進員 眞願寺総代 木村 弘
平成17年に、私は門徒推進員中央教修を履修いたしました。その際強く感じたことをお話いたします。一回の中央教修の参加者は50名で、その時は札幌組から8名、千葉県から2名で、残りは京都より西の方々でした。全員を7~8名のグループにわけ、提起されたテーマを全員で話し合う事でした。
法座が進み、同朋運動の「差別」のテーマになり、たまたま私に司会者の番が廻ってきました。私は北海道に住んでいて、「差別」を肌身で感じるということはほとんどありませんでしたが、メンバーの方々から自分の町の郊外には、被差別部落があり、子供のころは親から近づいてはいけないと言われ育ったなど、色々な発言がありましたが、最後に発言された女性の方から、『皆様は差別をする側の立場で話されましたが、私はその逆で差別される側、被差別部落の出身です。よくあることでは結婚する際出身地が被差別部落であるが故に破談になることも多く聞かれます。
しかし両親は私を育てるためその地区を離れ、他都市で私を育てて下さいました。従って中学を卒業するまでは私がその出身であることは知りませんでした。お陰でその後理解ある男性と知り合い、幸せな家庭を営んでいます』とお話いただきました。この発言により一時はシュンとなりましたが、その後ポツリ、ポツリと発言があり、真の意味での差別問題についての話し合いが出来たのです。 私達は、この女性の勇気ある態度に深く心を打たれ、一層信頼の度を深める事が出来たのであります。そして私自身が差別する側の人間であったこと、今日も苦しんでいる多くの方がいらっしゃることを、学ばさせていただきました。
私のお寺である眞願寺は対雁の地に創建されましたが、それは樺太アイヌの居住地に隣接していました。ここに住まわれていた樺太アイヌの方々は、明治政府により結ばれた樺太千島交換条約により、北海道への移住を望んだ人達が、強制移住された場所だったのです。しかし、此の居住地内などで疫病が集団発生し、多くの人達が亡くなっていきました。眞願寺の時のご住職はこうして亡くなった一人ひとりに「法名」を授け、懇ろに葬儀追悼されたのです。これらの方々の法名は、眞願寺の「過去帳」に記載され、現在も大切に保管されています。
北海道の開拓の頃より、アイヌの方々は色々な意味で差別をされてきたと聞きますが、樺太からの強制移住された方々も、見知らぬ土地で差別や偏見を受けられ、ご苦労された事でしょう。眞願寺のご住職は、今日本願寺が基幹運動として推進している『御同朋の社会をめざす法要』のさきがけとして実践されています。そして代々受け継がれ今も毎年「樺太強制移住殉難者墓前法要」にはご住職が導師をおつとめされ、領土問題によって犠牲となられた方を縁として、皆が共存し平和な社会への実現をうったえられています。
私も中央教修での学びを元に、このご法要には総代として毎年参拝させていただき、ご苦労された多くの犠牲者を偲び、「御同朋」の大切さと、共に歩む社会の実現を取り組まさせていただいています。