親鸞聖人750回大遠忌法要 第一期団体参拝旅行(平成23年6月9日~12日 45名参加)

投稿日:2011年9月1日

御法要では、ご門主様より「お言葉」をいただきましたので、ここに掲載させていただきます。

御門主様のお言葉


 50年に一度のご勝縁である大遠忌法要にようこそご参拝になりました。
 東日本大震災が始まって3ヶ月が過ぎました。亡くなられた方々、そのご遺族に哀悼の意を表します。行方のわからない方々、被災された方々、今なお続く困難を抱えていらっしゃる方々にお見舞い申し上げます。
 困難のなかご参拝になった方もいらっしゃることでしょう。ようこそおいでくださいました。
このご法要で宗祖親鸞聖人の遺徳をたたえ、各地からご参拝の方々とともにご本願念佛に生きる思いを確かめたいと思います。
 突然地震に遭い、津波に襲われた方々の恐怖や無念さは体験していない者の想像を超えています。人間や人間が作ったものが当てにならないだけでなく、天地自然も予測を超えていることは、佛教の基本である生死無常のことわりとして、理屈としては理解できても簡単には受け入れることができません。
 私たちは平生この世のことにとらわれて生きているからです。人間の知恵には限りがあり、欲には限りがありません。このような私たちの姿を見抜かれた阿弥陀如来のご本願です。いつでもどこでも南無阿弥陀佛となって私を喚びはたらきかけていてくださる阿弥陀如来です。
親鸞聖人が教えてくださるのは、この世を超える道です。ご本願を信じ念佛申す者にとって、人生は往生浄土の道を進むことであり、お浄土は私が佛になる場所です。親鸞聖人はご和讃に「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と述べられました。
 個人として被災地を訪ね救援活動をしている方々は多くいらっしゃいますが、宗門として何をすべきか何ができるか、難しい課題を与えられました。「世のなか安穏なれ、佛法ひろまれ」という親鸞聖人の願いを保ち続けなければならないと思います。原子力発電所の事故は人間の知恵や能力で扱うことのできるものかどうかを問いかけています。後の世代に犠牲を強いて今の経済的豊かさを優先する私たちの生き方は佛教から見ても大きな問題です。佛法を伝えられこの御影堂を託された私たちが子孫へは何を残すことができるでしょうか。
 被災された方々を思い、等しく阿弥陀如来の知恵と慈悲に包まれた者として、同じ社会に生きる者として、南無阿弥陀佛とお念佛申しつつ、精一杯過ごさせていただきましょう。


6月10日ご法要直前に御影堂の前で(中央は本願寺会行事今小路覚真師)