お経はいったい誰のためにあげるのでしょうか。月々のご命日やお盆、年忌法要、葬儀など、又日々のお勤めは、亡き方への為にお勤めするのでしょうか?
年忌法要などでお仏壇のお飾りを見てみますと、たくさんにお花やお供物がお供えされていますが、全てのお飾りが、お詣りする私の方から見てきれいに見えるようにお供えされています。亡き方(仏様)の為のお飾りであれば、お詣りする私がきれいなお飾りを見る必要はなく、全て仏様の方を向けるべきではないかと思います。
仏教は「仏のおしえ」と書いてありますが、「仏様のための教え」ではなく「仏にならさせていただくための教え」なのです。その教えをきかせて頂くのは、まぎれもなく私自身です。亡き方はいのち終わると同時に喜びの世界浄土に往生され、仏様となられています。迷いの世界(娑婆)で生きている私のために仏教はあるのです。
お仏壇のお飾りが、全てお詣りをする私の方を向いているのは、まぎれもなく私の為のお仏壇であり、私がいのちつきた時に参らせていただく浄土の模様を私が目で見させていただく為のものです。お浄土とは、すばらしい華が咲き、すばらしい香りがし、ほのかなともしびがともり、阿弥陀如来が蓮の華の上でいつでも立ち上がり、見つめて下さっています。
お経は、そのお浄土のおいわれが説かれています。そのお経を私が、目で見て口から称えさせていただき耳で聞かせて頂くのです。
亡き方をご縁として、み仏のみ教えにあわせていただけることを感謝しましょう。