前号(寺報響38号)に白寿の人として、善興寺(富山県)前住職で佛教音楽家の碩学飛鳥寛栗さんを紹介させていただきましたが、その中で印象的な言葉が心の奥に残っておりました。「今のところ耳は遠くなりましたが、足腰はまだまだ大丈夫で自由時間はたっぷりあるから、出版にこぎつけたい本がある」と記しておるのです。
この人の母方の祖父は、薩摩開教で入国の折に西郷軍に捕らえられる寸前、命からがら逃げた人ということでありますが、その詳細を知ることはなかったというのです。資料を集めて何時の日か出版したいということでしたが、このたびそれが実現したわけです。著書名は『越中僧・薩摩開教の記憶―石上暁了、野崎流人、藤枝令道』です。
いつの日か出版したいという言葉を、私は単なる老人の夢物語でしかないと思っておりました。
百歳の人の言葉なのですから・・・・・しかし、私の貧しく狭い了見は見事に打ち砕かれたわけです。
出版にこぎつけたいと他人に語るときは、すでに充分に資料の収集がなされ、出版実現可能というときの発言であると思い知らされたわけであります。ただただ恥じ入るばかりであります。
本書の文中で「本論では、薩摩開教に従事した越中の僧侶の開教実績に焦点をあてて、禁制・開教の歴史を述べていく」と記されておりますが、隣国の人吉藩の念佛禁制と越中三僧の事蹟へと書き進められております。特に三僧のうち石上暁了師は、著者の御祖父にあたり、その御息女一三美様は、ご母堂にあたります。あとがきには「私は幼い頃から、母一三美より、何度も実父暁了師についていろいろと物語ってくれ、写真も残されていたので、強く印象に残っていました」と記されております。
ちなみに著者の御姉のひとりが、当寺了正住職の御祖母にあたられる方です。昨年の十月十三日、私は思いもかけぬ邂逅の機会に恵まれました。御息女の寺(旭川)の法事のため来道された折に、眞願寺にお立ち寄りになられたわけであります。若々しく端正な立ち居ふるまいに驚ろかされました。ご本人自らが「多趣味」で「好奇心旺盛」と仰るように、話題は豊富でありました。
振り返ってみれば、お聞きしたいことが沢山あった筈なのに、上記気味で少し緊張していた私の記憶は曖昧であります。しかし、車の窓から手を振る笑顔は忘れることがなく深く脳裏に焼きつけられております。
今回は、この人でなければ書けなかった著作の発行だということを、直接お伺いして確かめることができました。三百年の間、禁教の地であった薩摩において、お念佛の種が蒔かれたという事実と共に、念佛禁制の実態が明らかにされました。
とりわけ私の心に戦慄の走る一覧表がありました。十五ページにわたる『被弾圧門徒編年名簿一覧表』でありました。全体を記すわけにはいきませんので、そこに記された名辞の一部だけでも列挙いたします。磔・切腹・斬殺・誅殺・撲殺・拷問死・獄死・入牢・追放・家財没収・聖教収奪等々です。目を背けたくなるほどの残虐非道の事実が伝わってきて、前に読み進むことができませんでした。
読了の後に私の心に見えてくるものは、白寿のひとの温顔であり、篤信の気骨ある博学の人であり、大正デモクラシー最後の巨人とすら見えてくるものであります。ますますの健筆をねがって止みません。
(釋彰響)
伯父から聞いていた話以上に、色々な事を知り得ました。有り難うございます。
ありがとうございます。飛鳥寛栗さんには、何度となく眞願寺に来ていただきました。いつも優しくお話しいただいたお姿を、昨日のように思い返します。