5月27日~28日にかけて、本願寺札幌別院において、第一連区佛教壮年研修大会が行われ、当寺からも萩原会長はじめ15名が参加した。この中で参加者を代表して前会長の安孫子建雄氏が御門主の前で、体験発表されました。その発表文を紹介します。
浄土真宗の門徒として壮年会を思う~安孫子建雄
眞願寺が壮年会を設立して満10年を経ました。それまでどちらかと言えば親の陰にいてお寺を意識せずにいた若者がお寺に足を向けるようになったのは会の大きな成果だと思います。
それぞれいろいろなご縁がありますがほとんどは親のかかわりからお寺に通うようになった方が多かったと思います。
佛事のいろはを勉強し、御法話を聴聞して少しは阿弥陀さまに手を合わすことの心を知り、宗教的味わいを深めてこられたのも会の活動結果でしょう。
様々な研修や本願寺への参拝を経験して、さらに御教えへの思いを高めてきました。そしていま壮年会をめぐって何が課題かを思うとき、その事がお寺全体の問題に繋がっています。
それは社会の今の姿として、過去の大家族(3世代2世代同居)から核家族になりさらに今は一人暮らしという姿に変化したということがあります。
このことはお寺の営みの形にいやおうなく変革を迫っています。今までは家族を通じて教えを伝えていたことが途切れてしまうことになります。つまり家を単位としてばかりいては家族のつながりさえも失ってしまいます。
さらに都会へ人口が集中していくことでさらに人々の心のつながりは失われてきます。
最近は様々な心痛める事件が起こるたびにたくさんのコメンテ-タ-なる人々が都合よく事の説明をしていますが、それらを聞くたびに何かがかけているなといつも感じます。
そのことに対しては、何のことはなく佛様の教えを今に当てはめて世の中を見れば一目瞭然であり、私たちが今何をなすべきか決まってきます。
宗教に対する世間の捉え方は様々であり社会に向けてあれこれ言うことをはばかる傾向にはありますが、今こそこの世のありようについて勇気を持ってアピ-ルする必要があるのでないでしょうか。
法律以前の心のありようについて、何千年のときを経ても変わることのない真理に基づいてみんなで考え日々の暮らしに、社会の営みに生かしていけたらいいのにと思わざるを得ません。このことは私たち社会人としての務めではないかと思います。
お寺の教化団体としての婦人会・壮年会の姿として、それぞれの会員は組織のための運営にはまり込むことを避け、御教えをともに味わっていける人々のために開かれた活動を目指せればとおもいます。お寺へ行きたくなる、心満たされてうちへ還ることのできるお寺を目指したいと思うのです。
私たちみ教えに会えたものとして命をいただき、つなげていく事、今あることに感謝できる幸せを広く哲学的な意味合い、宗教的味わいを持って勇気を持って語り続けてほしいとおもいます。現世利益ではなく、信ずることで心の持ち方ありようが変わることを大切にして行きたい。
「人はなぜ生きるのでしょう」・・その答えを探すために生きるのです・・と御門主様は著書「朝には紅顔ありて」で述べられておられます、其の通りですと申し上げれば私自身死ぬまで生きることの意味を悟らずに終わってしまいそうであります。
「3歳の子供にわかることがどうして年を経た大人にできないのか」今年の御正忌報恩講で講師の方からお聞かせいただいた言葉が忘れられません。
壮年会があってよかったと思えたこの10年を振り返り、これからも多くの方々と御教えに帰依できるよう力を尽くしたいと思っております。
以上で、つたない内容にお耳をお貸しいただきましたことに感謝申し上げ発表とさせていただきます。
法要を終えて 眞願寺の参加者の皆さんと