仏教壮年会20周年特集(1)

投稿日:2017年4月18日

ご 挨 拶

第三代(前)会長 釋明応(宮﨑英治)


雪の下では、早くも新たな土の息吹が感じられる頃になって来ています。これまで、眞願寺仏教壮年会は、平成8年2月会員73名で、結成以来、早くも20年という大きな歴史を刻む事になりました。その間ご住職及び総代、婦人会、皆様のご指導も頂いた中、お寺と共に、歩んだ20年でもありました。平成20年、開教125年慶賛法要には、[未
来に引き継ごうこのお寺をお念佛のともしびを]と共にお勤めさせて頂きました。
そして昨年3月には、創立20周年の記念式典、祝賀会、また7月に、札幌組壮年の集いを行い、眞願寺を会場として山階先生の講演を頂きました。
現代社会を顧みると、先の見えない混迷した社会とも言われ、楽しみがあっても、喜びのない時代、家があっても居場所のない時代となってきました。私達は、この世に一人で生まれ、一人で死んでいかねばなりません。何処まで行っても、人生は一人でありますが、独りぽっちでは生きてゆけない、居場所がないと生きられないと矛盾を抱えています。それは、孤独と不安の現代社会に生きる自分のためと言えるのではないかと思います。その為には、支え合う仲間一人ひとりができうる事を考え、阿弥陀如来本願名号を聞信し、お念仏申す門徒として、朋友の輪を拡げ、さらに、お念仏とともに、力強く生き抜くよろこびを広く伝え、心豊かに生きる事の社会の実現をめざし、会員一同と共に護持発展に努めていきたいと思います。
この度、任期途中ではありますが、20周年という大きな節目も終わり、会長を退任させて頂く事になりました。この間、関係する北海道教区仏壮連盟理事長など重責を担わせて頂きました。それも壮年会員の皆さんのご尽力とご協力の賜と確信する次第でございます。心よりお礼と感謝を申し上げます。永い間、大変お世話になり、ありがとうございました。合掌

ご 挨 拶

第四代(現)会長 釋悟深 (徳永俊司)


陽射しに春の訪れを感じる今日この頃、門信徒の皆様には、日々お念仏の教えとともに、ご清祥にてお過ごしのことと思います。仏教壮年会も1月29日、責任役員髙間専造様のご臨席を頂く中、第21回総会を終了し、新年度事業がスタート致しました。
宮﨑会長が任期半ばで辞任されまして図らずも私が会長職を受け継ぐこととなりましたが、私自身いたずらに過ごした壮年会での20年間の自責の念と、職責の重さを、今、痛感している処であります。
皆様方のご指導の程を宜しくお願い申し上げます。
昨年は壮年会の創立20周年の節目にあたり記念事業を催すことが出来ましたことは、総代会、婦人会をはじめ、眞願寺をご縁とする皆様方のお陰と改めて感謝申し上げます。壮年会が皆様と紡いできた大切な20年の日々をこれからもしっかりと守り育て組織の充実に努め眞願寺の護持発展に寄与できたらと考えています。
とは言え、会員の多くは働き盛りの多忙な身であります。日常生活の限られた時間の中にあっても、念仏を聞き掌と掌が合わさり真宗の教えにふれ、そして、又お寺に足が向かう、そんなきっかけ、機会づくりを通して、会員が自然体で阿弥陀如来の本願と向きあうことのできる場所壮年会になればと思うこの頃です。
今年一年がご門徒皆様にとってお念仏のともしびとともに安穏なる日々となります事を願いながら、今後も壮年会へのご理解を心からお願い申し上げます。合掌

事業報告 『記念式典・祝賀会』、『札幌組壮年の集い』を終えて

平成29年3月発行の寺報『響』第41号に、壮年会創立20周年記念事業の特集を掲載していただくとのご住職からのご配慮により文才のない私でございますが、事業の内容などについて少し書かせていただきます。
私は、平成22年度総会におきまして事務局長をお引き受けすることになりましたが、その時から創立20周年記念事業のことがずーっと頭から離れず、自分のような者でこの事業を進めていけるのか非常に不安に過ごしてまいりました。
そのような不安な気持ちの中、記念事業の準備委員会設立を26年度の総会で承認をいただき、その年はあまり活発な協議はしておりませんでしたが、27年6月の役員会から、お寺へ何を寄贈するか、記念式典・祝賀会の参集範囲や
祝賀会の予算をどの程度とすべきかなど本格的に協議を始めたところでした。
まず、一番大きな行事として協議したことは、「念仏奉仕団」を組織し本山で清掃奉仕をしようというものでした。しかし、協議していくうちに参拝できる時期は7月あるいは12月しかなく、京都の気候を考えるとどちらも作業するには厳しいだろうという結論になり、結果として、お寺で28年10月22日から予定している3泊4日の伝灯奉告法要に合わせ、壮年会では23日からの1泊2日、24日にお寺から参加された皆様と一緒に参拝をすることにしたものです。
また、このほかの行事としましては、お寺への寄贈や記念式典・祝賀会の開催、そして、7年ぶりに眞願寺が当番となる「札幌組壮年の集い」を「創立20周年記念事業」の冠を付けての開催でした。
「伝灯奉告法要」につきましては、他の幹事さんからの執筆がございますので、私からは、「記念式典・祝賀会」と「札幌組壮年の集い」につきまして、少し述べたいと思います。

記念式典・祝賀会


最初の大行事である「記念式典・祝賀会」は、春季彼岸会の中、3月19日土曜日、赤平市常照寺の佐々木重昭ご住職の法話の後、午後4時から開催いたしました。ご出席いただいた方々は、お寺関係の皆様をはじめ、総代の皆様、地区世話人の皆様、婦人会役員の皆様、そして壮年会会員の皆様、総勢68名でした。式典では宮﨑会長からの式辞の後、記念品としてお寺へ、「中京型背高経机・筆返し金具打」2脚を寄贈、ご住職、会長による除幕の後、ご住職、髙間責任役員、笠羽婦人会長様から心温まるご祝辞、会員への激励をいただきました。引き続き、祝賀会は鈴木副会長の軽妙な進行により安孫子初代壮年会々長の祝杯から始まり、平成7年から壮年会の設立にご尽力され準備委員会のメンバーである笠羽総代や清水元幹事、高間幹事様などから当時の思い出や苦労話をお聞きし、楽しいひと時を過ごしました。また、祝賀会の中でご住職が今年度から札幌組の組長に就任されることを知ることとなった日でもありました。
先輩諸氏が御苦労を重ね設立された眞願寺仏教壮年会、それを引き継いでここまで来ました。今後も眞願寺のご発展、ご隆盛のため、私は10年後生きているかどうか分かりませんが30年、40年を目指しご奉仕して行こうという新たな気持ちになったところであります。
今後も壮年会にご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。


札幌組壮年の集い


次に、7月9日土曜日、例年であれば家族親睦バーベキュの日ですが、眞願寺が7年ぶりに「札幌組壮年の集い」の当番寺院となったことから、20周年記念事業の一つとして眞願寺本堂で行いました。
札幌組内で壮年会を組織しているお寺は、札幌別院を除き札幌市東区の真照寺様、西井ご住職の光明寺様、そして眞願寺の三寺院しかなく、現在、組としても西井ご住職が壮年部長に就任され組織結成に力を注いでいるところであります。
「集い」は、鈴木副会長を調声に両脇を熊野幹事と私が座り、讃仏偈のお勤めから始まり、ご挨拶をご住職から札幌組組長としていただき、また、宮﨑会長から行いました。
その後、札幌別院様、光明寺様、真照寺様、勝圓寺様からそれぞれ活動状況の発表をいただき、最後に、眞願寺からは私が報告をいたしました。眞願寺壮年会といたしましては、他の仏壮の状況をお聞きし今後の参考とさせていただきたいと思います。
各寺の活動報告後、平成8年の眞願寺壮年会結成の際にも記念講演をしていただいた倶知安町東林寺ご住職である山階照雄師から20年振りに「老病死、を見つめて」と題し法話をいただきました。
冒頭、「お寺にとってはやはり仏壮である。仏壮はお寺の力になってくださる。自分のお寺の仏壮会員には学校の先生や書道の先生もいるし、農家の方はもちろん力になってくださる。農家の方は本当に力になってくださる。元々農家の方は共同作業をやってこられたから、特に熱心にやってくださる、ありがたい。もし仏壮が無かったら、えらいことになる。仏壮のおかげで何でもできる。」と仏壮を持ちあげていただきました。また、「東日本大震災のボランティアの炊き出しの際にも、仏壮や仏婦の皆さんにも力をいただいた。会員の皆さんにもこの奉仕活動を喜んでいただいた。」とお話しされました。そのようなことで、眞願寺壮年会々員の皆様におかれましては今後もお寺へのご奉仕を宜しくお願い申し上げます。
さて、本題であります「老病死」につきましては、実際のこととして東林寺で連続研修を受けられていた方が途中で病気になられ、その方が死に直面し、「私には阿弥陀如来様が付いている。帰る場所がある。」と浄土真宗のみ教えをいただかれ、往生されたというお話でした。もし私がそのような状況になった場合、現状や子ども、孫との関わりを考えるとすぐに受け入れられる自信はありません。また、山階ご住職から「浄土真宗以外の教えは死を嫌がる、浄土真宗は死を見つめる教えであり、お釈迦様は人生は苦なり、死を見つめなさいと説かれている。」ともお話をされました。
すばらしいご法話をお聴聞し、今後は今日を大事に生きて行かなければならないと感じたところです。
最後になりますが、この「集い」におきまして、最初の勤行では脇をさせていただき、また、活動報告では発表も行い、さらには懇親会でも進行役も担当するなど大変忙しく、しかし充実したビールの美味しい一日でした。ありがとうございました。   合 掌

事務局長 釋是真(堀和雄)


歴代会長より

壮年会が生まれて20 年 これからの眞願寺


先日事務局の堀和雄さんから原稿依頼を受け、そうか壮年会は二十年たったのだと改めて思ったところでした。
壮年会の創立の事情はみなさんの思い出の中にあると思いますが、お寺の歴史の経過の中で生まれるべくして誕生したのではないかと思います。本堂完成、待望の住職を迎え瑞江様とのご結婚をへて住職継職法要を執り行い名実ともに生まれ変わる眞願寺が誕生しました。
当時私たち檀家を基本とする門信徒は数が増え1200戸を超えるほどになりました。総代会をはじめとする役員、地区世話人、婦人会がありますが、壮年と言われる年齢層の方々とは取り立ててお寺とのつながりがありませんでした。本来お寺は老若男女すべてが集うところです。といってもお寺とのかかわりを持つきっかけは何かなければと考えるところに壮年会の発想を得たのです。
平成8年2月25日午後発会式が行われしました。「慈光」と大きく書かれたプログラムを懐かしくみてそのころを思い起こしてみます。当山に入寺されて間もない了正住職はご結婚、住職継承、子息誕生、本堂落慶と矢継ぎ早に事が進んでいる中で壮年会を発足との思いはわたくし共にとっても必然であったのでしょうか。
私はあいさつの中で「・・仏事の意味合いについて深く考えることのない私どもですが、壮年会の行事を通じて浄土真宗の教義に触れ生活信条を体験することにより、阿弥陀如来の本願に感謝して生きていくことを念じたいと思う次第であります」と申し上げました。入会の会員は同じ思いを共有していただけていたのかと思っております。当時全国では20年も前から壮年会が本山の勧めのもと各地に生まれていました。
発会の前年札幌で全国の集会があり参加者の年齢に驚いたのです。また近隣の南幌妙華寺様、西井さんの光明寺様の壮年会は先輩の会としてすでにありましたが、どちらも年配の方が多かった記憶があります。若い壮年会として誕生した眞願寺仏教壮年会ですが現状70歳以上の特別会員が多くなっているのも発足当時の他の壮年会を見て予想されることでした。
壮年会はお寺に集い仏教を学び親鸞聖人の教えを身に受けて私たちの生活信条としていくことをめざします。私たちは例会を含め多くの法座を聴いてきました。会員の中には初めて仏法に触れる人も多くいました。日常勤行聖典を手にし『正信念仏偈』を初めて声を出して唱えてみました。「仏事のイロハ」は本を通じて私たちの常識の誤りに気付き、正しく宗教の理解を深めることになりました。
聞法を大切にする私たちの浄土真宗はまず行事に参加することが肝要です。若い人たちの時間帯は仕事に左右されることが多く、例会等行事のプランに苦労するところですが、壮年会に限定せずにお寺の催しに積極的に参加し聞法の機会を得ることを望みます。
壮年会に入って団体で本山へ出向く機会を得た会員は多くに及びます。年を取ってから京都の本願寺へお参りすることもよいでしょう。しかしそれ以前に若いときに本願寺において親鸞聖人のご影に接し(御影堂)、阿弥陀様(阿弥陀堂)に手を合わすことは多くの感動を得ることができます。
我が家のお仏壇、お寺の本堂で終わることなく私たちの信ずる根源に触れることは大切なことと思います。さらに多くの人との交流が生まれました。
自分だけが悩んでいたり疑問に思っていることが実は他の人も同じことを感じていることに触れ共感したり安堵することがあります。あなたもそうでしたかなどと思う瞬間に仲間の意識が生まれます。
発会初期のころは幹事会の後でよくお酒を酌み交わしながらよもやま談義をしました。若き住職の話友達になっていたのかと思います。私たちが信ずる阿弥陀様の働き、それを私たちに導いてくださった親鸞聖人、蓮如上人のみ教えが日々の私たちの生活や仕事にどのようにかかわっているのか、はじめは気付くことはありません。何かのきっかけで物事のなぜに触れたとき、み教えは生きてきます。煩悩だらけの私たちは、命の原則を理解し、悩みや欲望から解き放されるのかと思います。修行といえば難行、苦行を考えますが、日々の行いの中に修行の種がたくさんあります。お寺に集って法話に耳を傾けお寺を出たら別人になる自分があります。いつもそうとは限りませんが・・・
命のつながりを思うとき眞願寺に壮年会が生まれたことはとても画期的なことであったと思います。私たちの父母・祖父母・高祖父母たちの仏様と今の核家族化の進んだ状況の仏様には多くの違いがあります。昔は生活そのものに仏壇がありました。なんの疑問もなく仏様がみんなの中にありました。いまはどうでしょう。おうちに仏様のいない家族が多くなりました。お寺は檀家があり住職がいて成り立っていると思っているうちに、檀家が継続できなくなりつつあります。一人ひとりがお寺の構成員になることが求められます。
壮年会は世代にまたがり家を超えてお寺を支える基礎になるべきものかと思います。さらに言えば婦人会、壮年会をより開かれた会へと進め、門信徒のみんなが垣根なくお寺に集える仕掛けにしてはどうかと思います。婦人会が用意したプラン、壮年会が段取りした行事にどなたも参加できる催しにしてはと思います。
地方消滅が大きな問題になっていますが、それは私たちのお寺の存続につながることになります。全国ではお寺の消滅が進んでいます。明日の眞願寺をしっかり思い描いて私たちの心のよりどころを繋いでゆきたいと思います。
永代にわたりわが眞願寺が、お参りの人々であふれ心の支えを得て幸せな日々が続くことを思い描きたいと思います。老若男女区別なくみんなが集い寄り添えるお寺をみんなで作りましょう。壮年会の限りない活躍を願い二十年のお祝いといたします。

初代会長 釋得真(安孫子建雄)

このお寺を次世代にどう引き継ぐべきか


仏教壮年会20周年まことにおめでとうございました。
初代安孫子建雄会長を引き継ぎ、就任と同時に「壮年会十周年記念事業」(冨田不二也様の記念講演)を会員・役員および先輩諸氏の絶大なご協力により執り行うことができました。
その後「開教125周年・寺号公称120周年事業」(清岡隆文師の記念法話)。翌年本山での「眞願寺門信徒追悼法要」、その時別室での「即如前ご門主様とのご面会」、「壮年会結成大会」参加。
常福寺(浪江町)での境内清掃奉仕を終え、一瞬の津波に破壊された請戸地区、その海岸から4km先には廃炉作業中の福島原発。人影の見えない静寂な市街地への帰還は、まだまだ先のようで胸が痛む思いでした。
以上のように、数々の事業で貴重な体験をさせていただいたのが昨日のようです。また、昨年は第2期伝灯奉告法要に団体参拝および壮年会の方々と参拝でき、浄土真宗のみ教えをいただきました。
仏教とは死んだ人のためにあるのではない!
お釈迦様は生きているひとに「なぜ生きる」を教えられ、親鸞聖人がその神髄を私たちに教えられた!
仏教壮年会を取り巻く環境は、少子高齢化、核家族化、参詣者の減少(寺離れ)および各種事業への参加数の減少となっています。私たちは『未来へ受け継ごう、このみ教えを念仏のともしびを』を実行していきましょう。

第二代会長 釋賢徳(萩原建興)


仏教壮年会20周年特集(2)へ続きます

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