お佛壇のあるくらし5

投稿日:2015年9月1日

23-1白寿のひと 飛鳥寛栗(あすかかんりつ)さん
 この人の生き方こそ、標題にもっとも相応しいのではないかと、今回は視点を変えて、ひとりの佛教者をご紹介いたしたいと思います。
 この人の母方の祖父は、西南戦争で西郷軍に捕えらえられる寸前、命からがら逃げた人だということですが、その詳細を知ることがなかったので、資料を集めて本にすることができれば有難いことだと申しております。
 この人とは、今年白寿を迎える99歳の飛鳥寛栗さんです。佛教音楽研究家で、富山県善興寺前住職であります。今のところ耳は遠くなりましたが、足腰はまだ大丈夫で自由時間はたっぷりあるから、出版にこぎつけたいと、力づよく申しております。
 飛鳥寛栗さんについての筆者の知るところは、毎回送られてくる善興寺門信徒会会報『可聞(かもん)』に載る文章によってのみでありますが、当寺了正住職の母方の大叔父にあたられる方です。『可聞』には飛鳥寛栗さんの連載記事「老(ろう)蛙(あ)のつぶやき」がありますが、読まずにはおれない滋味あふれる文章であります。
 ちなみに、各寺院から送られてくる寺報などは、他の図書と共に玄関を入って直ぐの図書棚に並べてありますので、ご利用いただければと思います。
 飛鳥寛栗さんは、学生時代から旺盛活発に佛教音楽活動や、音楽関係資料を集めておりましたが、本格的な佛教音楽の研究を始めたのは、大病を患った60代過ぎてからだと言っています。その後、数々の著作を出版し、さらに収集した佛教音楽に関する膨大な資料、楽譜を基に幕末から140年にわたる編年表『日本仏教洋楽資料年表』を編さんし、93歳の時に出版されました。このことによって、仏教伝道協会から仏教伝道功労賞が贈られました。
 この夏は白寿を迎えられる今も新たな出版に向けて資料収集を進めているということです。飛鳥寛栗さんは、昭和59年に癌でぼうこうの全摘手術を受けましたので、余生は資料の整理と系統的な研究に生かそうと始めたところ、「余生」が40年も続いたのは思いがけぬことであると記しております。
 わが国の近代音楽史や作曲家研究では、「仏教音楽」の資料がほとんどなかったのが、資料収集を長く続けさせた理由だと記されておりますが、飛鳥寛栗さんのあくなき使命感と、たぎる情熱であり、継続する力であると、賛辞を惜しむわけにはいきません。
 今までに集めた資料は段ボール箱に30個以上になりましたが、今後は専門家の手で活用される方がとの思いから、宗門校でもあり音楽学部をもつ相愛大学に寄贈されたそうです。
 飛鳥寛栗さんは平成23年に奥様に先立たれて、初めて自らの老いと死を意識されたと言います。そして、死の恐れも悲しみも本当の深さを知らなかったのに、分かったつもりで法話をしてきたとは、かえりみて恥ずかしく申し訳ないと記しております。この述懐をいかに受けとりますか。ただただお念佛申し上げるほかにありません。
 (平成27年2月20日毎日新聞と『可聞』各号を参考に記事を書きました。)

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