積雪の境内 樺太アイヌ殉難者墓前法要

11月初旬としては珍しく積雪となり、11日朝境内は真っ白となりました。重たい雪に苦慮していましたが、清水産業さんのブルが特別に除雪していただき、本当に助かりました。

11日12日と眞願寺で葬儀もありましたが、お陰様で弔問の方々も転ばずにお参り出来たと思います。

さて、コロナ禍のため6月より延期になっていました樺太アイヌ強制移住殉難者墓前法要が「11月7日自由な時間に参拝しましょう」ということで、各々に参拝しました。眞願寺でも午後2時半、遺族会代表の方々と対雁墓地にある「対雁の碑」の墓前でお勤めさせていただきました。

このご法要は、明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で1886年より1887年(明治19年より20年)にかけて、天然痘やコレラなどが大流行しました。そして集団生活を強いられてきた方々は、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなりました。国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられていったのです。きっと、悲しく、つらく、我が身にもいつ伝染するかわからない恐ろしさの中で、日々過ごされたことでしょう。

 

 

当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)においでになり、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されていることです。「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆と刻まれています。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。

今年民族共生象徴空間「ウポポイ」がオープンしました。アイヌ文化の振興や普及啓発は大変大切なことと思いますが、未解決の多くの問題が現在もあります。その中に遺骨返還問題があり、この対雁の墓地からも沢山のお骨が北大はじめ各大学に持って行かれ、未だに変換されていません。一日も早く遺族の元に変換されることを願うばかりです。

 

 

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