樺太エンチウ(アイヌ)強制移住殉難者墓前法要と講演会 6月15・16日

投稿日:2024年6月17日

 日本とロシアの千島樺太交換条約により、樺太より江別対雁へと移住を強いられた841名の方々、約半年間で半数近くが疫病で亡くなりました。明治8(1875)年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていたアイヌの方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で明治19年より20年にかけて、天然痘やコレラなどが大流行し集団生活を強いられてきた方々は、たちまち伝染し、全住民の半数近くの方々が、亡くなりました。
 当時、亡くなっていかれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江説教所(現在の眞願寺)においでになり、多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。


 6月15日午後2時より、江別市やすらぎ苑対雁の碑において眞願寺住職の導師によりご法要、並びにアイヌ式供養が行われました。樺太アイヌの悲惨な歴史に心よせたひとときでした。皆さんにこの歴史を知っていただきたい、心を寄せていただきたいと願い、毎年6月第3土曜日に行っています。きっと過去の歴史を知ることによって、これからの考え方、生き方が変わっていくことでしょう。
 他人事ではないこの事実は、現在も増え続けている難民の方々と同じです。北海道江別市の歴史の中で語っていかなければならない大切なことでしょう。式は実行委員会主催で催され、遺族会の方や心をよせる多くの市民が遠近各地より参詣されました。眞願寺の関係では、本願寺札幌別院・北海道教務所から代行の方、札幌組からは松本副組長、眞願寺からは安孫子責任役員、笠羽総代、萩原総代、鈴木壮年会長をはじめ多くの門徒の方に参拝いただきました。歴史の詳細については眞願寺HPや、院内のパネルをご覧ください。

一般公開御堂講演会歴史探索「第2回江別の対雁の碑」~樺太アイヌ強制移住の歴史と文化にふれて~

 6月16日、前日の墓前法要に引き続き、今年の一般公開講演会では標記の講演会が、樺太アイヌ協会副会長の楢木貴美子さんをゲストに行われました。
 第1部では歴史を顧みる中で、楢木さんの生い立ちや思いを語っていただきました。特にこの歴史を多くの方に知っていただきたいという想いで取り組まれていることや、北海道大学や各国立大学などで研究目的で遺族に無断で保管されている遺骨の問題については、「大学の保管庫に無造作に頭骨が並べてある姿を目の当たりにして、許せない気持ちになった。早く生まれ故郷に返してあげたい」と語られました。
 第2部では北海道アイヌのムックリと樺太アイヌのカーニムックンの違いを、実演やトンコリを演奏されながら歌と踊りを披露され、その後は会場の方もアイヌの服装を身につけて一緒に歌って踊り、盛り上がりました。
 最後は広間に移動し、前日から用意していただいたアイヌ料理の試食が行われました。前日の墓前法要にも供えられたものや、伝統的な料理を準備していただき、皆さん「とっても美味しい」と評判でした。
 楢木貴美子さんはじめ、この講演会に協力いただいた皆様、眞願寺いちょう会の方々にも心より御礼申し上げます。

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