長く続いたエゾ梅雨も一段落ついたのか、21日は久しぶりのいいお天気になりました。境内も青空とともに新緑も美しく輝き、初夏を感じる様になりました。
5月に植えていただいた境内のプランターの花々も、だいぶ大きくなり、参拝にこられた方々をお迎えしています。新緑とあわせてとてもきれいですね。
昨年設置した小鳥の巣箱には、2カ所でコムクドリが子育て真っ最中です。せっせと餌を運び、カラスなどの天敵も多い中、一生懸命に雛を守り育てています。
江別市対雁は元々眞願寺が明治17年に布教所として開教した場所でもあり、故郷とも言える清き場所
です。その開教当時に起きた大きな出来事が、樺太より強制移住させられた方々の集団生活の中で、天然痘やコレラなどが大流行し、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなって行かれたことです。くわしこはこちらへ
21日午後2時より墓前法要が行われ、御遺族はじめ樺太より移住された方々、そしてアイヌ協会など、関係諸氏とともに多くの方々とご一緒に、過去をふり返りつつ犠牲になられた多くの方々に心を寄せ、追悼のご法要を勤めさせていただきました。法要後は樺太アイヌの弔いが行われました。
対雁の墓地は、現在広く市民の方々が利用されていますが、元々この小高い丘に樺太殉難者方々が埋葬されていたことに始まります。しかし、石狩川のふちに北電の施設を建設することになり、この小高い丘が削られることになりました。そこから多くの人骨が発見されましたが、当時の教育委員会が立ち会
いの中、北海道大学の医学部などがその遺骨を遺族に無断で研究や標本にするためという理由で、大学などに持ち帰ってしまいました。非人道的な事件です。(北大人骨事件)
その遺骨が遺族の方々や小川隆吉さんなどの長年の訴えがようやく国にもとどき、管官房長官より返還の見通しについて、東京五輪までに白老町のポロト湖畔周辺地域に整備される「民族共生の象徴となる空間(象徴空間)」の開設施設を作り、埋葬し、海外の方にもたいとの会見がありました。しかし、本来埋葬してあったこの対雁に返還されるべきではないかと、いう話をご法要後にお話しさせていただきました。この発表について、遺族の方々などは何も聞いていないということでした。先ずは大学からの謝罪があり、その遺族の思いになることが先のように感じることです。
老朽化してきたこの「対雁の碑」の整備も今後の課題としてあり、遺骨返還と同時に今後の課題となっています。そして、住みなれた土地より強制的に移住させられた方々の思いは、問題は違いますが現在の原発事故により移住を余儀なくされている方々の姿も、心にうかびつつ、住みなれた生活の場所(居住地)がどれほど大切なのかをあらためて感じる法要でした。
まもなく7月になります。もう今年も半年が過ぎました。時は過ぎると早く感じることですね。政府は国の憲法解釈を変更し集団的自衛権を行使できるようにすることを目指し、最終段階に入っていますが、大変危惧しています。人間が人間を殺すことが正当化されるのが戦争でしょう。その戦争を二度と行わないと誓ってあるのが憲法です。政府が勝手に解釈を変えるのであれば、先ず国民に問い、改憲すべきと思います。