11月19日の朝はからっと晴れて、いいお天気に恵まれました。先ずは宗務事務所で廣畑住職より、浪江町及びその近郊の現状について説明いただきました。本年4月1日現在で、非難されている方が8万人以上おられるということや、もう帰ることの出来ないと見込んで自主的に引っ越された方の数を合わせれば、その倍の方々がおられるということ。『帰還困難区域』『居住制限区域』『避難指示解除準備区域』の三つに仕分けされている区域のちがいや、田村市などの例をあげて解除されることの難しさなど、新聞や報道聞いたことをおさらいしつつ、多くの方がまだまだ大変な生活をされている事を実感し、浪江町に向かって出発しました。右の写真は宗務事務所内の除線作業で出た廃棄物ですが、いつもって行ってくれるのかをからないとのことです。結構な量ですね。
途中国道114号線で『帰還困難区域』や『居住制限区域』などの線量の高い山間部も通過することから、事前に食料などをコンビニで調達し、山間部へと向かうと、除線作業や除線物仮置場建設中など、工事作業が進んでいるようです。が、写真のように黒いシートや大きな袋詰めされた高線料がきちんと処分されるのは、いったいいつのことになるのか、本当に事故以前と同じ環境に戻り農作業が出来るようになるのか、素人ながら疑問にかられました。
検問所ではゲートが閉められていて、一人ひとりの身分証明書で確認作業がされました。ここでハプニングがあり、約30分時間を要してしまいました。許可書は廣畑住職さんにお願いし、いただいていたのですが、同行した一人の名前が、免許証と違っていたのです。実は許可書には「法名」の2字が書かれていて、免許証には「俗名」の1字が書かれていたのです。先ずは法名の事を説明し、そして照会。免許証写真と本人の確認など、時間がかかってしまいました。
この地区でもいろんな事件が起きたようで、なおさら厳しくなったようです。昨年の『避難指示解除準備区域』の検問とはまったく違う厳しさがありました。そして線量が5.0~8.0msvの地域を通過しつつ、浪江町でも『居住制限区域』にある寺院に立ち寄りました。やはり線量は高く5.0msv以上が計測されていました。建物や伽藍はしっかりしていましたが、居住制限のため草がしげっていました。すぐそこでは除線作業が行われ、『避難指示解除準備区域』になるところですが、見えない線量はまったく違うようです。
浪江町の復旧工事も道路からやっと始まっているようで、本通りを迂回しつつ常福寺参に昼前に到着しました。常福寺境内で線量0.17msvでした。先ずはご本堂に土足のまま上がり参拝し「今年も参りました」と。昨年と変わっていない境内とご本堂でしたが、本堂の傾きが気になったのと、境内は昨年清掃前に見たときより、若干きれいな気がしました。
早々カップ麺とおにぎりなどで昼食を済ませ、清掃作業に取りかかりました。イチョウの葉と銀杏、枯れ枝に草取り、そして動物が建物に進入していると思われる穴をふさぐ作業など、手分けして取り組みました。マスクとビニール手袋、汗かきますが肌を出さないようにしつつ、3時間ほどの作業でした。
そんな草取りをしていると、樹木の影などから落ちっぱなしになった銀杏などが、芽吹いている姿に出会い、複雑な思いになったことです。
清掃作業を終えてご本堂に参拝、写真を撮り常福寺様を出発し、置戸の海岸線を視察しました。昨年とは別ルートを通りましたが、ようやく海岸線の作業が始まったように感じました。先ずは流されてそのまま放置されたままの漁船や車、などを集める作業が行われていました。二日前の道新にも掲載されていましたね。やっと始まったのかという感じです。漁港には3年以上沈んでいた漁船が上げられていました。
そして廃炉を目指した作業が永遠に続きそうな福島第一原発を6キロ先に眺めると、恐ろしさを痛感しました。棄てるあてもない中、汚染水を海に垂れ流し、右往左往している原発。実際にそこで作業されている方々は本当にご苦労なことですね。しかし、これでも原発を再稼働しようとしている全国の発電所の方々にこの状況をきちんと見てほしいと思いました。
東京電力が行っているスクーリング会場に行き、車両の車と靴そこの線量を計って、「基準値以内です」とお許しをいただきました。あれ?基準値って?計測した数値は?だれも確認していませんっていうか、聞けばよかったですね。次回は是非聞きたいと思います。
廣畑住職と握手でお別れし、一路5号線を仙台へと北上しました。19時半おそい夕食を皆さんのお疲れを癒やしつつ、頂きました。