祖父の十三回忌を終えて思うこと

 初秋を迎えた頃、無事祖父の十三回忌法要を終えることができた。身近な者だけのささやかなものではあったけれど、コロナ禍において皆が集まれたことをきっと祖父も喜んでくれたのではないか。
 亡くなったあの日と同じ暖かな一日となり、皆でわいわいと祖父の話をした。高齢の親、孫の私たち、顔も知らない曾孫まで確かにつながっているご縁。そんなことを感じながら話をした。
数年前、私は手術をした。年を重ねると大きな躓き(つまず)は突然やってくる。どんなに若くとも生と死は平等に向き合わなければならないことは分かっていた。けれども、当時の私はまだ幼い娘を抱えていたので、万が一残していくことになったら、と心は激しく波立っていた。
 母親、妻、そして娘としての役割の中でそれぞれ涙し、「どうして私が?」と一人の人間としての生命について困惑し涙した。
 幸いにして、今私は元気に生きている。つながった命は、一年一年新たな課題を私に課してくるけれども、向き合う姿勢は前とは少しだけ違う。私の抱える憂いが軽くなったこともあるだろう。でもそれ以上に、祖父から親へ、そして私から娘へと引き継がれる命のご縁を理解し、不安が膨(ふく)らみ続けなくなったことが大きく影響していると思うのだ。

(ご法事を終えて 写真右から2人目筆者)

 もちろん、新しいウイルスとの共存、先の読めない景気、思春期を迎える娘・・・不安でいっぱいの日々には変わりない。でも、夫との新たな縁から紡ぎ出された娘へとつなげる命と人生は、その不安を抱きしめながら、家族とともに「今ある幸せ」に感謝して全うするだけだ、と心から思う。
 生前、「加奈は強くなれ」と言っていた祖父。相変わらず身体も心も軟弱で、祖父の生きた時代に比べたら甘ったれた世界に浸かっている私だ。けれども「弱さを受け入れるという強さ」は少しだけ見えてきたかもしれない。祖父の言う「強さ」を確かめるすべはないけれども。
 すっかり長居をした実家で、各々帰り支度をしていたら、澄み渡った夜空に星が綺麗に瞬いていた。人間はちっぽけで儚(はかな)い。だからこの人生、尊いのかもしれない。

小 倉 加 奈

(写真 花岡勝美さん)

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