令和6年5月19日 北海道教区・本願寺札幌別院 親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年 慶讚法要・帰敬式

投稿日:2024年5月22日


 昨年11月22日、眞願寺住職が札幌組組長として最後の大仕事、札幌組親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要と帰敬式を主導されました。
 今年度は5月19日(日)「はなれていても、こころはひとつ」をテーマに、北海道教区親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要が修行されました。今回の法要は道内の4別院(札幌、函館、小樽、帯広)をオンラインでつなぎ行われました。法要に先立ち午後1時から、北海道内別院間のオンライン交流会が行われました。
 ご法要は午後2時から札幌別院を会場に教務所長・札幌別院輪番の宇野哲也師御導師のもと「新制御本典作法」により行われました。親鸞聖人の御前にお供えする伝供は、札幌組はじめ空知南・北組、上川南・北組に続き札幌別院責任役員総代、札幌龍谷学園高等学校生徒代表2名から行われました。

内陣で行道される郭成氏と導師の札幌別院御輪番
伝具で大きな仏飯を受ける郭成氏と見守る住職

 最後のお念仏では、道内寺院の寺族、門信徒の皆さん、特に子どもを中心に事前に作成いただいた約2,500枚のけはがまかれ華を添えてくれました。午後3 時から本願寺派特命布教使の出雲市山陰教区神門組乗光寺北島清秀氏による記念布教が行われました。法要直前にお飾りを含め内陣を確認、スムーズな式の進行に気配りしながら指示をする眞願寺住職の姿を拝見しました。札幌組を代表して礼装で出仕された郭成氏が伝供で札幌龍谷学園高等学校生徒代表2名からのお供えを取り次ぐ際に、腰をかがめ声をかける等気遣いする様子を拝見しました。陰となり支える姿や優しい心配りをする姿を拝見し、眞願寺門信徒にとって法要の意義にも劣らない誇らしい気持ちにさせていただきました。
 眞願寺から30名が団体で参拝しました。また、法要前に帰敬式が行われ、眞願寺の門徒9名を含む160名が受式されました。

釋 巧 成(石 垣 巧)

出勤された札幌組の僧侶
法要を終えて眞願寺の皆さんで

帰敬式に参加して

 私は、共に江別で生まれ育った両親のもと、1958年に生を受け現在65歳になります。
 令和2年3月に父親を、昨年末には母親を亡くしました。ここ数年で実感したのは、この世の無常さと、遺った家族の生きようです。初めて直面することが多く、様々なことを考えねばならない日々が続き、妻と相談しながら今日に至っております。父親の他界を機に、眞願寺さんにお世話になり、お仏壇を置くことになったため、自然の流れで仏法に触れる機会も多くなりました。
 私の家にはもともとお仏壇がなく、目にするのも触れるのも、お盆に祖父母の家へ訪問した時くらいでした。親戚や同年代の従兄弟も多く、お仏壇に手を合わせることよりも遊んだり話したりすることへの興味が正直大きかったです。
 「仏教」や「浄土真宗」については、在学時代に学んだ事と、これまでの経験をもとにした知識しか無く、目にするものや耳にすることすべてが新鮮であり、再確認することも多くありました。
 そんな中、妻が「法名」について詳しく知りたいということでご住職様にお話を聞きに行くことになり、その際に「帰敬式」の儀式があることを教えていただきました。私の両親は、亡くなってから法名を頂きました。私たち夫婦も、「法名」は亡くなってから頂くものだと思っていました。しかし、ご住職様のお話から、我々夫婦で話し合ったところ、生前に法名を頂けるのであれば、より浄土真宗を身近に感じるとともに、門徒としての自覚もより一層深まると考えたのです。そこで今回「帰敬式」の受式を決意しました。
 たいへん多くの門徒の方々の中、身の引き締まる思いで受式しましたが、この日までのすべてが、南無阿弥陀仏の教えにしっかりと導かれていたのだと感じました。生きている今「法名」を頂いたことで、門徒としての新たな人生を歩んでいく決意をいたしました。

釋 教 敏(田村敏彦)

私にとっての帰敬式

 田村家の嫁として、今は亡き義父母には大変お世話になりました。相続のことや葬儀、お墓のことについても熟考されていた義父母は、折に触れて私達夫婦に丁寧な説明をしてくださいました。そのお陰様で、義父母の意に沿う形でお見送りができたのではないかと夫と安堵しております。
 ただ、その安堵もつかの間。何事も先々を考えすぎてしまう私は、「自身が亡き後も、あの世で迷子にならず夫と共に」という思いにかられてしまいました。仏法に浅知恵しかない私は、気が付けばご住職にご相談申し上げていました。
 真面目な顔で正直な思いをお伝えする私にご住職は笑顔で一言。「そのような心配は無用」。
 5月19日、本願寺札幌別院にて私はまたもや考えていました。「私にとっての帰敬式」。
それは、義父母が眞願寺さんとのご縁を結んでくださったことから始まったのではないかということです。
ご住職の御計らいで帰敬式を受式することとなりました。
 帰敬式は、浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮らしを送ることを誓う大切な儀式でしたが、私にとっては、そこに至るまでの様々なご縁に心より感謝申し上げる日でもありました。よって、厳かな雰囲気の中、より一層気を引き締めてお念仏を申し上げた次第です。何より嬉しかったのは夫婦それぞれの法名に“教”という同じ字を入れてくださったことでした。「心配無用」とおっしゃったご住職でしたが、このようなお心遣いは何より私の心の安寧をもたらせてくださいました。
 最後に、心配症の私が心穏やかに帰敬式を受式している姿を誰よりも安心して見守っていたのは隣に座る夫でした。あの世で迷子になりたくないと話す私に「俺はまだ生きている」と呟いていましたが、同じ浄土真宗の門徒として互いにお念仏を申し歩んでいくことを誓い合いました。

釋 教素(田村素子)

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